
大杉栄、伊藤野枝訳
科学の不思議
それには、此の骨組みの上へ湿つた土の粒を一つ一つ堆み上げて行つて、木虱のゐるところまで円天井のやうなもので、茎を囲む。そして此の小舎に出はいりする為めの出入口をつくる。それで小舎は出来あがつたのだ。涼しく静かで、そして同時に食料も十分あるのだ。此の上もない幸福な事だ。牝牛は無事に其処の秣架(まぐさだな)に居る。即ち木の皮にひつつけてある。蟻共は家の中にゐて、其の木虱の管から甘味(おい)しい乳を腹一ぱいに飲む事が出来るのだ。
『が、此の粘土でつくつた小舎は、大急ぎで、少しばかりの労力でつくつたものなので、大した建物ではない。一寸強く打てば直ぐに毀れてしまふ。何故こんな一時的の建物をつくるのに、あんな骨折りをするのだらう? が、高山の羊飼ひは、一ヶ月か二ヶ月しか使はない其の松の枝の小舎をつくるのに、もつと骨折りはしないか。
『蟻共は、木虱を草叢の底の方に少しばかり囲つておく事では満足しない。彼等は又、其の囲ゐのそとの遠くで見つけた木虱を其処へ持ち運んで来る。かうして彼等は、其の不十分な牛の群れを補ふ、と云ふ人がある。私は蟻にさうした先見のある事には別に驚きもしない。しかし私はそれを自分で見た事はないから、確かにさうだとは云へない。私が自分の眼で見たのは、たゞ木虱の小舎がある事だ。もしジユウルが此の夏の暑い日に種々(いろいろ)な盆栽の根の方に気をつけてゐたら、きつとそれを見つける事が出来るだらう。』
『きつとですか、叔父さん』とジユウルが云ひました。『僕それを見よう、その珍らしい蟻の小舎を見たいな。それから叔父さんはまだ、あの蟻がうまく木虱の群を見つけた時にどうしてあんなにたらふくたべるのかつて事を僕達に話してくれなかつたぢやありませんか。叔父さんは、あの接骨木を大きなおなかをして降りて来る蟻共は蟻塚の中でそのたべものを分けるのだと云ひましたね。』
『蟻は自分だけで御馳走をたべる事もある。それは決して悪い事ぢやない。誰でも他人の為めに働く前に先(ま)づ自分の元気をつけなくちやならない。しかし自分がたべるとすぐに、ほかの飢(ひも)じい者の事を考へるのだ。人間の間では、何時もさうは行かない。人間は自分が御馳走をたべれば、他の者もみんなやはりちやんと御馳走をたべてゐるものと思ふものがある。そんな人間の事を利己主義者と云ふのだ。お前達も此のつまらない名前のつくやうな事をしないやうにしなければならない。蟻は極くつまらない小さな生き者だが、此の小さな生き者の手前だけでも、そんな名前は恥ぢなければならない。其処で蟻共は満足すると直ぐ飢ゑてゐる他の蟻の事を思ひ出す。だから、其の液体の食べ物を家に持つて帰るために、そのたつた一つの器の中にそれを一ぱいにつめ込むのだ。それが即ちはちきれさうなあのお腹なのだ。
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